赤ちゃん できない 辛い〜忘れたころにきた体験談
赤ちゃん できない 辛い
赤ちゃんがなかなかできない、辛い時期を過ごしている女性は多いと思います。
自分だけではなく夫婦共々、子供を待ち望んでいるのに妊娠しない時の女性の心の苦しさは、
想像を絶する苦しさかもしれないです。
でも、そのうち子どもを授かると前向きに考えなければ、やはり身体にも悪いですし、
丈夫な赤ちゃんを産むためにも、明るきいないといけないですよ。
赤ちゃんができない辛い。20代で結婚した夫婦の葛藤。
20代で結婚したのに、赤ちゃんができない、辛い想いをしている女性の話は、
私の周りのもいます。
20代前半で結婚して、自然に子供が出来ると思って日々を過ごしていても、
30代後半まで授からないという場合もあります。
欲しいのに赤ちゃんがなかなかできない二人の話を聞くと、
見ているこっちも辛くなったのを思い出します。
他の友達には子供が生まれて、その子供を抱かせてもらった時、
「カワイイ、可愛い。」
と泣いていた旦那さんと友達の姿を見て私も胸が苦しくなり、もらい泣きしてしまいました。
赤ちゃんができない、辛い想いをしている夫婦は不妊治療もしている、
子供が生まれた夫婦はしていない、子供が出来た夫婦はまだ子供は早いと考えていたけれど、
思いがけなく授かった。
まわりの友達が結婚して赤ちゃんが出来ているのを見ると、
できない二人は本当に辛いと思います。
女性の場合、生理が来るたびに落ち込んでしまう、そのたびに旦那に迷惑をかけているような気持ちになる、
旦那さんが優しいのが余計に辛かったりします。
赤ちゃんができない。辛い周りの妊娠報告。
周りからの妊娠報告を聞くと、
「嬉しい、おめでとう。」
という気持ちはもちろんあっても、
うれしいというより、無性に悲しくなったり、実際はそう思っていない自分がいるのではないでしょうか。
赤ちゃんができない自分が辛い、自分に対してとても悲しくなる。
もちろん友達が憎いとかそういうのではないですが、
どこか自分を責めてしまう場合がありますよね。
周りの赤ちゃんの写真、幸せそうな現状を知ると、
そんなのは見たくない、でもそんな風に思う自分が嫌になり、
友達との関係も距離を置きたくなるというのはありますよね。
人の幸せは見たいけど今は見たくない、自分でもどうしていいのか分からなというのが本音ではないでしょうか。
ただ、ただ悲しくなってしまうことは、
生きていると、度々あるのも事実です。
赤ちゃんができない。辛い想いをしている未来のお母さんへ。
私の友達は本当に苦しんでいましたが、不妊治療も止めて、
二人で人生を楽しく生きていこうと決めたころ、子供は諦めようと決めたころ、
思いがけず授かり、男の子が生まれました。
赤ちゃんがなかなかできない、辛い想いをしていたころから5年とか6年くらい経った頃だったと思います。
その時の二人は本当に幸せそうでした。
友達夫婦を見ていて感じたことなのですが、
思い切って産婦人科を受診して、相談するというのは一つだと思います。
「不妊治療」とか考えると、その響きが良くないのでどうしても抵抗があると思いますが、
不妊治療とまでは考えず、産婦人科に相談しに行く、今後妊娠するための準備と考えてみると良いと思います。
一番大事なのは、今の気持ちを共有してくれる場所かも知れないです、話を聞いてくれる場所。
自分よりも後に結婚した友達に次々と子どもが生まれたり、
周りから「子供作らないの?」とか言われると、ストレスというより本当に辛いと思います。
他の子供がいない友達からも、子供が出来たという話を聞くのが怖い、
そう考えると、遊びにも行けなくなる女性も中にいるようです。
不妊治療をしても、それで赤ちゃんができない辛い想いをしている人もいますし、
原因は何かわからない状態で悩むよりは病院を受診して、
検査をしてもらうだけでも随分気持ちが楽になると思います。
何かが分れば、授かること前提で日々が進んでいく可能性もあるのではないでしょうか。
赤ちゃん欲しい…できない…。女性にとって一番大切なこと。
子供を生みたいのに生めなかった女性は、
この世にどれ程いるだろうかと、
考えた時に、人生の心残りだったり、
中には子供が好きじゃない女性も実は少なくない。
ただひとつ言えるのは子供がいるから、結婚したから幸せというわけでもなく、
人生を歩く家庭では、女性の側、あるいは男性の側に何の問題もなく、
子供を作れる身体だとしても、授からない夫婦もいる。
この事を考えると、まずはやはり愛し合い、
尊敬しあえる相手と一緒に人生を共にするということが先決ではなかろうかと。
その延長線上にあなたの子供が待っているかどうかは、
人生の流れを見守るしかないだろう。今は全くわからないだろうが、
あなたが大切にするべきは将来、あなたの介護を率先してしてくれるような、
優しい相手だということを忘れないでほしい。